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3/13 広島東照宮

広島東照宮に行きました。

引っ越してから行きたい行きたいと思っていましたがなぜかいけなかった場所です。

多分近いのでいつでも行けるくらいの気持ちだったんでしょうね。

東照宮はご存知の通り徳川家康を祀る神社です。

ですので家紋も当然三つ葉葵の紋です。

当然本家本元の日光東照宮と比べると小さな神社なのですがそれでもかなり立派な社でした。

この広島東照宮は広島二代藩主浅野光晟が家康の三女を娶っていたことから創建したと言う事ですが当時は東照宮を造営する事が各藩でブームだったらしくその波に乗ったとも言えます

浅野家は秀吉の奥さん寧々と縁続きの家系、家康の娘を母としていたとは言え豊臣系とも言われれば言い訳ができない家系でした。

何せ広島藩前藩主福島正則を城の雨漏りを修復しただけで難癖をつけて改易したからです。

しかも熊本では加藤清正の息子加藤忠広が改易されていました。

この加藤忠広は徳川秀忠の養女を娶っていました。

当時の将軍家光は家康を崇敬しており父秀忠が質素倹約し苦心して集めた金を日光東照宮の造営にばら撒くように使いました。

東照宮を作って東照大権現を分祀するのは家光のご機嫌取りにはちょうど良かったのではないかと思います。

浅野家は石田三成や加藤清正などに隠れて目立ちませんが秀吉の子飼いの中でかなり縁の近い家だったので生き残り戦略にかなり長けていたのだと思います。

武士というのは戦に強いものが強いのではなく生き残った者が強いのです。

そういう観点から言うと広島藩という大藩を見事維新時代まで維持し続けた浅野家はかなり優秀な家系だったといえるでしょう。

石田も加藤も福島も皆禄を失ったのですから。

福島は一応旗本として生き残りましたが。

そして東照宮の上には稲荷神社がありました。

久しぶりに稲荷神社らしい稲荷神社でした。

京都の稲荷神社をかなりコンパクトにした感じの稲荷神社ですがこの神社は東照宮も兼ねているようで権現様の遺訓が所々に建てられており中々上るのが楽しかったです。

伏見稲荷神社をかなりコンパクトにするとこうなったという感じでしょうか

伏見稲荷のように鳥居がたくさん並んでいたのは久しぶりに壮観でした。

この東照宮を頑張って上ると広島の街を一望できる絶景ポイントに到達します。

奥は似島と瀬戸内海の島々、手前にはJR広島駅が見えます。

こうしてみると広島の街はコンパクトな盆地に作られた都市ですね。

だらだらとひたすら広いわけじゃない、それが住みやすさの一端につながっているのではないかと思います。

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tetsugorou • 2019年3月17日


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