tetugorous Photograph

犬山城

岐阜県のゆるキャラ、ミナモはとても可愛かった。私が撮影する前にはしゃいでいたカップルが犬山って岐阜だったんですかって言ってました・・・犬山は愛知ぃ!

犬山城に行ってきました。

以前行ったことがあったんですがその時の写真は前のHDDがお逝きになられたのでデータとしては残ってなかったのでどうしても行きたい城でした。

何より犬山城は現存天守でしかも近年まで個人所有だったという稀有な城です。

城主である成瀬氏が近年まで守り抜いた城なのですが成瀬氏の独力で城を保持していくことが困難となり現城主である成瀬敦子氏が財団法人白帝文庫を設立し今は財団所有となっています。

成瀬敦子氏が設立した財団が犬山城を保有しているため実質現在も成瀬氏が城主と言っても過言ではないのではないでしょうか。

個人が頑張って文化財を守るということは素晴らしいと思います。

もし成瀬氏が諦めて城の相続を拒否した場合、城がどのようになったか分かりません。

もちろん文化的にも歴史的価値を考えても犬山城の価値は非常に高いですから悪いようにはならなかった気もしますがどのようにしても守り通すと言う志の高さは何よりも評価できるものではないでしょうか?

犬山城、この日は天気が良すぎて日差しがやばかった・・・

犬山城に登城したのは8月の中旬とても日が強い腫れた日だったので大垣に行った時もそうだったのですがとても露出に苦労しました。

今現在行けば今度は曇った空に悩まされそうですがw

雲と青空のバランスの取れた空というのは中々望めないようですね。

城内から本丸と犬山の街を見下ろす
犬山城内に展示されている模型、ちなみに手持ちで撮りました。
犬山城は後背に木曽川を天然の堀としている要害、写真で見ると分かりませんが木曽川の川幅の広さは要害にふさわしいものでした。

ですが天候の良い日は岐阜城まで望めるそうで自分はそれを意識せずに撮ってしまったのですが多分よく見たら岐阜城が写ってるかもしれませんw

岐阜と愛知のまさに県境にあるこの城はまさに織田氏と斎藤氏の最前線の城だったのです。

ちなみに秀吉の天下を決めたとも言われ、徳川の天下をも決めたと言われる小牧・長久手の戦いはこの犬山城落城から始まっており、織田氏時代の城主池田恒興が元城主という利を活かしその弱点をついて落城させています。

最上階から木曽川を望むとその後ろ堅固さが分かると思います。

つまり犬山城の落城がなければ秀吉は長久手の中入りを思いつかなかったでしょうし、池田恒興は長久手で戦死することはなかったのです。

家康の名を天下に広めたのもまさに長久手の戦いであり、当時実質的に天下の主であった秀吉に唯一勝った家康の名を世間に広め秀吉は家康に野戦では勝てないと諸将にしらしめたのも小牧・長久手の戦いです。

実際頼山陽は徳川氏の天下分け目戦いは大阪の陣ではない、関ヶ原ではない小牧・長久手の戦いだと言っています。

そして秀吉は家康との戦いに多くの将兵の血を流さなければならないと思い知り、家康を政治的に追い詰め遂に外交で屈服させ天下統一を確実にしたのもまた小牧・長久手の戦いでした。

その引き金になったのは犬山城の落城だったのです。

池田恒興が犬山城を落城させなければ小牧・長久手の戦いは起きなかったのです。そう言う意味では犬山城は歴史の最も大きなターニングポイントに立ち会った城だといえます。

このように犬山城は歴史的価値が高い城なのです。

日本人はこの城が現存して残っていることに感謝しなければならないのです。

その為城好き、歴史好きなら1度ならず2度3度足を運んで歴史を噛み締めてもよいのではないでしょうか?

ちなみに現在の天守は成瀬氏初代城主正成が尾張藩の附家老として就任し犬山城を拝領した時に改修したと言われる。

その為天守が作られたのは織田氏時代だが正成が改修したのが1617年頃だと言われており現在の形が現存最古と言われると疑問符がつくのでここは天守が作られたのが最古とい事にしておこうと思います。

犬山城で野外学習していました。そしてこの犬山城の野外学習をしていた引率の先生は外国人の先生でした。外国の方のほうが日本の城を好きだという事実・・・
こう見ると以下に断崖絶壁であるかがよく分かる。
木曽川対岸から、ちなみに犬山城から対岸には簡単にいけます。長い橋を渡らないと駄目ですが。
犬山城はとても美しい城なのでこのように空のトーンがしっかりとでる日ならモノクロのほうが格好良く撮れるかも知れない。

ちなみに他に最古と言われているのが福井県の丸岡城、そして城マニアの中で最も人気のある松本城です。

この中で最も分があるのは正直丸岡城だと思います。

まあ特に詳しい理由はないのですが築城主が柴田勝豊と実際天守建造ブームだった1600年台よりも前に死没した人であるということ、ちなみに松本城は石川氏が豊臣氏に寝返ってから拝領した城で天守を建造したのは豊臣秀吉が天下を統一してからだという事はハッキリしています。

犬山城はそれより前に天守自体が建造したのは確実そうですが白漆喰のこの天守はまさに天守建造ブーム時代の様式で現在のような形になったのは成瀬氏時代になってから。丸岡城の焼き板作りはまさに戦国時代の武骨な城。

と言うことでここは現存最古は丸岡城で建造最古は犬山城と言うことで良いのではないかと思います。

まあこの際現存していることのほうが重要であって最古がどうだこうだというの歴史の面白みくらいに思ってください。

成瀬氏博物館にて
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tetsugorou • 2017年8月31日


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